都会は孤独?都会が僕にくれたもの
同じ大学の地方から上京してきた人と話すと、よく「地元に帰りたい」なんて言葉を聞いたりする。
上京してきた人は基本一人暮らしで、東京に友達がほとんどいなくて、自分が住んでいた町と何もかもが違うし、大学で中のいい人ができるまで常に1人で行動しなくてはいけないのが辛いって言ってた。
やっぱり、生まれ育った土地の方が安心できるんだろうな。家族も友達もいるし。たまーに、そういう地元があることがちょっと羨ましく感じる。
僕は、昔から引っ越しが多かったのであんまり”地元”っていうものなくて、同じ場所にずっといたのは小学生の頃の6年間だけだった。
でもその6年間は確かに、安定してた。楽しかった。学校帰りは必ず友達を家に読んでスマブラやってた。友達が来れば母親がお菓子を用意してくれた。
地元は確かにあたたかい。じゃあ、都会って冷たいのか?
僕が都会といわれる場所に引っ越したのは高校生の頃からだ。
都会に一人暮らしでとてつもない孤独を味わった高校時代
僕が高校生の頃に引っ越した場所は飯田橋。
飯田橋といえば、都会のど真ん中。飯田橋駅は5つもの路線が乗り入れる大型ターミナル駅。
JR中央本線、東京メトロ東西線、南北線、有楽町線、都営大江戸線の5つの路線があり、どこへ行くにも不自由しない。
加えて、飲食店が多数あり、隣に神楽坂があるため、ちょっと出かけようと思ったら徒歩で遊びに行けてしまう。
何をするにも不自由はなかった。経緯は省くけども、高校生で一人暮らしを初めて経験できて舞い上がっていた。
でもちょうど大学受験のシーズン。自分の人生で一番大きいであろう孤独に直面する。
受験期なので友達とはめったに合えず、高校も特殊だったため、単位を取り終えたら、基本的にみんな学校には行かない。それで卒業できる。なので友達と会うことはほとんどなかった。
一日のスケジュールは、起床→ファストフードで朝食→予備校→勉強→デニーズで夕食→帰宅
これを多分1年弱繰り返してた。関わる人といえば、授業であう予備校の先生とデニーズの店員くらい。
「あまりにも人と話さないことが多くて、声がまともにでないから」という理由でカラオケに行って週に一度声を出す、なんてこともやってた笑
いくら神楽坂が隣にあろうと、いくらアクセスがよかろうと、いくら飲食店が豊富だろうと、僕は当時それらにまったく価値を見いだせなかった。
都会は自由とチャンスをくれる場所である
都会はほんとに自由。何かしたいと思ったら、だいたい何でも出来てしまう。
だけどその行動は全部自己責任。都会は、いわゆる村的な共同体よりも自己責任の度合いが大きい。何か問題を起こしたら基本的に自分でそれを処理しなければならない。
都会にはチャンスがありふれている。そのチャンスをつかもうとするかどうかも自由。別にそれらを無視して、高校生の僕みたいに1人で無為な時間を過ごしてもいい。
でも僕はそれって凄く勿体ないことだと思う。自由でチャンスがありふれているならそれに突っ込まない手はない。
僕が都会に住み続ける理由
ひとことで言うならやりたいと思ったことをやれるから。
大学通いながら、企業にインターンとか多分東京に住んでなければなかなかできない。できないってより機会が少ない。
街を巡るのも楽しい。ふと散歩行って、景色ながめながらお店巡ったり。唐突に旅行行きたくなってそのまま空港行って海外いくなんてこともある。
あとはアクセスのよさ。自分の時間がより多く確保できる。僕は、1日の電車移動の時間は30分以内に収めてるから多分人よりも使える時間が多いと思う。
高校のときは、行動起こさなかったからその良さに気づかなかったけど、大学入って、都会に住むことのアドバンテージを肌で感じる。
むしろ都会は孤独じゃない
高校のときの僕のように都会では金さえあれば個人でもまあ生きていける。
でもそれは人とつながらない。つながってなきゃ僕みたいになる。人とつながって居たほうが楽しいし、圧倒的に成長できる。
行動すれば、その分だけ繋がりはできるし、自分の想定してないところでも友達なんかできたりする。
都会で孤独なら、まず、行動してみて、あらゆる興味ののあることに挑んでみること。これを僕は、高校時代の経験から学んだ。